ココロノうちでの 第1-15話 「彼女の不満」
ココロノうちでの まとめ
翌日の日曜日。
昨日に引き続き五人がかりで励んだおかげで、未開の地と化していた庭も一応見栄えはするようになってきていた。それでもまだ手入れの行き届いていない箇所はあちこちに見受けられ、今後は部屋の掃除も含めて、休日を中心に時間の空いている者が作業することになるだろう。継続的に手入れをしないと、元の木阿弥になりかねない。
サエの提案した家庭菜園は、他の三人に快く了承された。どうやら、カイの家に広めの庭があるとわかった時点で、この手のことを言い出すと予想していたらしい。
菜園の責任者になったサエは、早速朝から畑作りに精を出している。ちなみに、やはり朝食後に小さくなったサエだったが、作業能率はむしろ上がっているようだった。身軽な体と、本人のテンションが功を奏したのかもしれない。
お昼も近づき、トイレのために作業を中座したカイは、その足で飲み物を求めて台所へ向かった。離れの冷蔵庫にはストックが少ない。
廊下を渡り、居間に入ると、そこには先客――リンがいた。
彼女も休憩していたのだろう。手元には、お茶の注がれたグラスがある。会釈をしつつ前を横切り、台所へ。冷蔵庫を開け、共用になっているペットボトルの緑茶をグラスに注ぐ。ラッパ飲みなどは、共同生活を始めてからは当然しない。
その間、背後から視線を感じた。
向けられているのは、ペットボトルでもグラスでもなく、自分だ。何か話したいことがあるのかもしれない。一息に飲み干して退散してもよかったのだが、タクの言っていたことを思い出し、振り返ってこちらから話しかけてみた。
「あの、」
「……何よ」
「気になってたことがあるんですけど、」
何やら不機嫌そうな表情のリンは、カイを見上げ、
「座れば?」
言われて、彼女の斜向かいに腰を下ろす。
「で、何?」
「あー……と、手紙のことで、」
「手紙?」
「この家に来た日の夜に開けてたじゃないですか。あれって、何でリン先生が読んだんですか? 何か理由があるのかと思って」
カイの質問に、リンは「何を言うのかと思えば」と呟いてから、
「答えは単純。私が本家に近い血筋だから」
「っていうと、一族の本家ですか」
リンは頷き、
「他の三人も含めて、普段はそんなこと気にしてないんだけどね。あのときみたいな一族の上が関わってくるときだけは、私が受け持つことにしてるの」
「なるほど」
一族の中で本家の位置づけがどうなっているかはわからないが、少なくとも彼女たちの間では、態度や言葉遣いなどでリンを特別扱いしている様子は見られない。リンの言う通り、手紙を読み上げることなどは、あくまで役割分担なのだろう。
「私からも質問、いい?」
カイの疑問が解けたとわかり、今度はリンが尋ねてきた。先ほどから機会を伺っていたのかもしれない。緊張しつつ了承すると、一拍置いてサエは口を開き、
「サエのことなんだけど」
このタイミングでサエのこととなると、一つしか思いつかない。
「……やっぱり、マズかったですか?」
「まぁ、こうなるだろうとは思ってたけどね。何が何でも禁止ってわけじゃないし、そうしたところで、サエに窮屈な思いをさせるだけだから」
「あの方法については……?」
「方法? あぁ、仕方ないんじゃない? あれ以上は許さないけど」
頬杖をついたリンは、微妙にカイから目線を逸らした。
「でも、ほんとなの? 小さくなっても大丈夫だなんて」
「本当です……って、言葉だけじゃ信じてもらえないとは思いますけど」
「気味悪いなんて思わない……か」
「……はい」
ちらり、とカイを見たリンは、「ほんとはね、」と語気を強めて、
「少 しは、嬉しかったりもするの。サエに優しくしてくれたことも、いきなり押しかけてきたあたしたちと暮らしていこうとしてくれてることも。けど、素直には喜 べない。心のどこかで思っちゃう。何よこいつ、何にもわかってないくせに。一族のことも、あたしのことも、ミナのことも、ユウのことも、サエのこと も……って」
「それは……」
「……ごめんなさい。こんな言い方しかできなくて」
「いえ……リン先生がそう思うのも、無理ないと思います」
「……うん」
カイの言葉に偽りはなかった。面と向かって「わかってない」と言われても、腹を立てたりはしない。同居を始めて、まだ数日だ。以前から顔見知りだったとは言っても、それは教師と生徒という関係でしかない。彼女が、一族の関係者でもない――いや、それ以上に、年下であり高校生であり異性であるカイに対して心を開くことができないのは、むしろ当然だろう。それは自分にしても同じだ。
ただ、
「リン先生、」
これだけは言っておかなければならないと思い、カイはリンを見つめた。
「わかっていないことを、わかりたいと思ってます。俺の意思で。そのことを、認めてくださいとは言いません。知っておいてほしいんです」
「知って……?」
「はい」
「……わかった」
リンは頷き、しばし、二人の間に沈黙が訪れる。
カイが視線を落とすと、お互いのグラスが空になっていることに気付いた。「お代わりは?」と聞くと、「ううん、いい」とリンは首を振る。だったら片付けて しまおうと二つのグラスに手を伸ばすが、向こうも同じことをしようとしたのだろう、「あたしが、」とリンもグラスを持とうとし、彼女の手とカイの手が僅か に触れて、
「ぼんっ」
お決まりの合図と、ふすまが開いたのは同時だった。
咄嗟に目を覆ったので状況は把握できないが、誰かが入ってくる気配がする。この小さな足音はサエだろうか。音はカイの向かい――リンのいる場所で止まり、どたばたという騒ぎとともに聞こえたのは、幼くなっているが、リンのものと思しき声。
「な、何をする! 離すのじゃ!」
「じゃ……?」
「わしが小さくなったのが珍しいじゃと? そんなことはいいから離さんか!」
「わし……?」
耳慣れない口調に戸惑っていると、騒ぎを引きずったまま二つの足音は部屋から出て行った。「ちょ、ちょっと油断しただけじゃからな!」というセリフを残して。
そのまま、時間にすれば数十秒経っただろうか。
「カイくん……?」
声をかけられて目を開けると、心配顔のミナがいた。
破裂音を聞いて庭からかけつけたのだろう。一応、何もなかった旨を説明し、ミナも納得してくれたようだが、あの音が鳴ったのだから何もなかったわけがない。
気まずい空気が流れかけたものの、それを払拭するようにミナは声を上げた。
「あ、あの、」
「は、はい」
「お昼ご飯、何にしますか? 昨日、カイくんが勧めてくれたおソバ屋さんは美味しかったですけど、二日続けて店屋物っていうのも……」
初日だけでなく、毎日の献立は、カイが優先的に決めることになっていた。
しかし、自分が食べたいものとは言え、毎日となるとなかなか思いつかない。できればソバから離れたものをと、しばし思案してから浮かんできたのは、
「オムライス」
その言葉とタイミングを同じくして、リンが戻ってきた。元の姿になり、服も着直している。倒れていたグラスを戻した彼女は、横目だけでカイを見て、
「誰かに聞いたの?」
「? 何をですか?」
首を傾げるカイを半ばニラむように見つめていたリンだったが、やがて根負けしたように「……まぁ、いいけど」と呟き、グラスを持って台所へ向かっていった。「ふわふわにはしないからね」と言いながら、冷蔵庫の中を確認している。
リクエストした昼食は彼女が作る、ということでいいのだろうか。
「洋食はリンの担当なんですよ」
カイが疑問に思っていると、ミナが説明をしてくれた。
「高 校のとき、家から通うのは遠いから、学校の近くでみんなで共同生活をしてて。交代でご飯を作ってる内に、何となく、分担が決まっていったんです。洋食はリ ン、中華はユウ、和食はわたしっていう風に。あくまで得意料理ですし、一通りのことは教わってますから他の料理が作れないわけじゃないんですけど、今も一 応担当分けしてるんです。その方が、作る側も食べる側もいいんじゃないかって」
高校時代のことは、断片的にではあるが、ユウから聞いている。ユウの得意料理が中華ということも。ただ、料理の担当についてまでは知らなかった。
そう言えば、最初の夕飯を作ってもらうとき、ミナとリンでやり取りがあった。ハンバーグは洋食の内に入るから、どちらが作るか協議したということか。
「……誰かに聞いてませんよね?」
納得しているカイの隣で、ぼそりとミナが呟く。
聞き返す間もなく、背後から、のっそりとユウが入ってきた。カイを一瞥しただけで何も言わずに腰を下ろし、ミナも定位置に座ってしまう。遠くからはサエのものと思われる破裂音が聞こえ、キッチンではリンが食事の支度中。
とりあえず、昼食ができるのを待っていてもいいのだろうか。
そう考え、カイもあぐらをかいて、リンの調理風景を眺めることにした。
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