ココロノうちでの 第1-24話 「そのころの彼女たち」
ココロノうちでの まとめ
カイが優衣の部屋へ泊まりに行っていた、一方そのころ。
「かんぱーい」
カイ宅の居間では、先生たち四人がグラスを打ち鳴らしていた。
机の上にはミナの作った種々の料理が並び、各人のグラスには好みの酒が注がれている。氷や炭酸水、ミネラルウォーターの準備も万全。今日は家飲みだ。
以前は、誰かの家に集まって、しばしばこうした会を開いていた。ただ、同居を始めてからは機会がなく、今日が初めてになる。教師が飲み会をしていてもカイ は目くじらを立てたりはしないだろうが、やはり生徒がいる手前、堂々と飲酒するのは憚られた。気軽に酔うこともできない。
今夜はカイがいないのを幸いと、夕食もすっ飛ばして始めた次第だ。サエの菜園がようやくスタートにこぎつけられたから、その慰労という意味合いもある。千種を誘えないことが残念ではあるが、こればかりは致し方ない。
その日の冷蔵庫には、珍しく、数種類の酒が並んでいた。ユウが晩酌で飲む分は離れの冷蔵庫に入っているし、他の三人が家で飲むのは、週に一回あるかない か。毎日顔を突き合わせているのに今さら内輪だけで飲み会なんて、と口では言いつつも、内心は楽しみにしていたらしく、それぞれが用意した酒はいつの間に か多くなってしまった。
いざ始まっても、改めてする話もないと思いきや、やはり、カイがいる席では口にしづらい話題が飛び交う。最近使っている化粧品のこと、近所にある美容院のこと、市販ではサイズ的に見つかりづらいから一族が用意してくれる下着のこと……。
多少だらしのない格好をしても、そこは家飲みの醍醐味ということで、とがめる者はいない。料理……というよりつまみの美味さも手伝って、会話の花が咲くとともに、酒が進んだ。
むろん、一族の女にとって、酒の席は注意しなければいけない状況の一つだから、大学に入る前から一通り飲み方のレクチャーは受けている。それなりに場数も踏んできて、自分の酒量もわきまえているはずだ。
が、やはり仲間内という気の緩みがあるのだろう。今日に限っては、四人とも普段以上にペースが早かった。
酒の在庫が豊富だったことも、理由にあるかもしれない。なくなれば流れはそこで途切れるが、目の前にあればついつい手が伸びてしまう。カイからは泊まりに なると聞いていたため今夜中に切り上げれば問題はないし、マンション住まいと違って、そこまでうるさくしなければ夜中まで酒盛りをしても隣近所に迷惑をか けることもない。
当初は、飲み終わった缶やビンを随時片付けていたミナも、誰かが「明日になってからでいいんじゃない?」と言ったためか、途中 からは酒を飲むことに終始していた。ビールにウイスキー、梅酒やワイン――お値段的にリーズナブルなものだ――と、気が付けば、居間には ゴミが散らばってしまっている。
この有様を、学園長が見たらどう思うか。あの人ならば、「どうせならカイくんといっしょにすればいいのに」と、別の方向で苦言を呈するかもしれないけれど。
その後も会は続き、始まってから数時間ほど経った。
ミナの料理は粗方なくなり、代わりにつまみとして座卓に乗っているのは、スナック菓子やチーズ、乾き物だ。さすがに開始当初からペースは落ちているが、そ れでもお開きになる様子はなく、四人ともちびちびとグラスや缶を傾けていた。会話も途切れ途切れになり、内容がどれほど頭に入っているのか、漫然とテレビ 番組が流れている。
そんな中、ふと、思い出したようにその名前を口にしたのはミナだった。
「カイくん、今ごろどうしてるかな」
ミナとしては独り言のつもりで、誰かに反応を求めたわけではない。自分たちのように楽しい時間を、彼も過ごしているだろうかと思っただけだ。
ただ、酔いを感じさせないはっきりとした口調で、即座に答えを返す人物がいた。
「あたしらと同じように宴会してるだろ」
ユウだ。ビールの缶を持ちながら、その瞳は空中を見つめている。
缶をあおった彼女は、続けてあっさりと、
「向こうも、酒ぐらい飲んでるかもな」
「それは……」
「そんなのダメでしょ!」
ミナを遮り、強い口調で否定したのはリンだった。こちらはユウと違って、若干ロレツが回っていない。一般的には飲める部類に入る彼女も、四人の中では酒に弱く、端から見てもわかるほど酒気を帯びている。
ちなみに、カイは事前に「友達の家に遊びに行く」と伝えただけで、相手まで明かしていない。それとなく同級生であることを匂わせておいたが、泊まりへ行くことには反対しなかった先生たちも、さすがに女子の家と聞いたら黙ってはいまい。
「ダメダメ。まだ高校生なんだから、お酒なんて」
「隠れて飲む分には構わないだろ。警察の厄介になるようだとマズいが」
「構わないって……私たちはそんなことしなかったじゃない」
「あたしらといっしょにしてもな。他人の前で泥酔できない事情があるわけだし」
反論してきたユウを、じっとニラみつけるリン。
と、ここで意見を交わしていてもラチが空かないと思ったのか、ハチミツ入りハイボールのグラスをテーブルに置くと、ふらつく足で彼女は立ち上がった。見過ごすわけにもいかず、「どこ行くんだ?」とユウが訪ねれば、
「あいつに電話かけてくる。声聞けば、酔ってるかどうかわかるでしょ」
「お前自身が酔っ払ってるのに、そんな冷静な判断できるのか?」
「酔ってない!」
「お、落ち着いて、リン」
「……ったく、タチ悪い酔い方して。サエ、頼んだ」
ユウに声をかけられて、テレビを見ながらレモン味のチューハイを飲んでいたサエは手を止めた。子どもの状態で飲むわけにはいかないので、今は元の姿だ。リン以上のペースで飲み続けているのに、こちらは平気な顔をしている。
後ろから彼女に抱きすくめられたリンは、しばらくジタバタと抵抗していたが、やがて諦めたのか動きを止めた。幾分冷静になったらしく、離すようサエに促すと、
「ちょっと、お水飲んでくる」
「……大丈夫?」
「大丈夫。ありがと」
立ち上がったときに比べればしっかりとした足取りで、台所へ向かう。あの様子なら、こっそりカイに電話をかけるようなことはしないだろう。
彼女の背中を見送っていたミナは、その目をリンに向けた。グラスに入ったカクテルが、ちゃぷんと静かに波打つ。
「けど、実際のところどうなんだろう。止めるべきなのかな、先生として」
ユウはそれに答えず、ミナに視線を返す。
「家 でも学校でもわたしたちがいるから、こういうときに羽を伸ばしたくなる気持ちもわかるんだよね。カイくんなら、ハメを外しすぎるようなことはしないだろう し、口うるさく注意すると、面倒がられちゃうかもしれない。でも、親御さんの代わりってわけじゃないんだけど、気にかけてあげるべきなのかとも思っ て……」
ミナもまた酔っているのだろう。取り留めもなく、言葉が口からこぼれる。けれど、それは唐突な思いつきではなく――そして、飲酒云々に関することだけでもなく――、普段から彼女の中で引っかかりとして存在していることが伺えた。
「理解はしてるんだよ? 男の子が集まったら、そういうこともあるってことくらい、」
「……女の子かもしれない」
ぽつりと呟いたのはサエだ。
何気ないその一言で、場の空気にピシリと緊張が走った。ミナはもう、続きを話そうとはしない。サエとしては、あくまで可能性を指摘しただけで他意はないのだろう、ミナとユウに見つめられて、きょとんとした顔をしている。
「そうね。女の子ってことも考えられるわよね」
静止する三人の中に、リンが割って入ってきた。ひと息入れて落ち着いたのか、先ほどまでの危うい様子はなく、元の位置に腰を下ろす。
「『友達の家』ってだけで、男か女かなんてわかんないもの。もしかしたら、私たちに内緒で付き合ってる相手がいるかもしれない。もう高校生なんだし」
そう言いながら、迷いなくリンが視線を定めた相手はユウだった。一瞬だけ目を合わせたユウは、すぐに逸らすと、「関係ないだろ」とぶっきらぼうに返す。
「彼女がいようがいまいが、一族の秘密がバレたことに変わりないんだ。外部に漏れないようにするためにも、この生活を続けるしかない」
「ずいぶん冷静ね。腹立ったりしないの? 呪いのことを知ってるのに、そんなものの影響がない女の子と付き合ってるかもしれないなんて」
リンに追求されて、ユウは彼女を見つめ直した。その瞳には、表現しようのない、強い感情が込められている。
「なら、言えばいいだろ。『あたしたちがいるんだから、他の女に尻尾振るな』って。突き合ってる相手がいるんなら別れさせればいい、一族の力でも何でも使って」
リンは口ごもり、今度は彼女の方から視線を外す。それは、反論の中身というよりも、ユウがこうした反論をしたこと自体に驚いたようだった。
それでも、彼女の中にあるわだかまりは解消していないらしい。
「……ユウは知ってるんじゃないの? そういう相手がいるかどうか」
「何で、あたしが」
「仲がいいみたいだから」
「そんなこと、」
「隠してるわけじゃないみたいだから言うだけど、ほとんど毎晩、あいつの部屋に行ってるじゃない。仲が悪かったら、そんなことする?」
おそらく、この場でなければ、リンはここまで問い質すことはなかっただろう。表面的に持ち直したように見えるだけで、まだ酔いが残っているのかもしれない。あるいは、彼女自身が、「酔っている」ということを言い訳にしているのだろうか。
「……別に何もしてないけどな、説明するべきことは」
「ほんとに?」
「疑うんなら、実際に来て確かめればいいだろ」
リンはそれに答えず、グラスに残っていた酒を飲み干した。
空になっても喋り出そうとせず、気まずい沈黙が続く。
それを断ち切るように口を開いたのはミナだ。床に目を落としながら、「けど、」と落ち着いた口調で話し始める。
「も し……もしもカイくんに付き合ってる人がいて、そうじゃなくても好きな人がいたとしたら、その人との関係を、わたしたちが邪魔しちゃってるんじゃないか な。呪いだとか一族だとかで、一方的に振り回しちゃってるのに。わたしたちは、自分たちの都合ばかりを優先させて、その事実に気付かないフリをしているの かも……」
その問いかけに、答えを返す相手はいない。
しばらくは誰も言葉を発しないまま、黙々と酒を胃に流し込むだけの時間が過ぎていく。夜も深くなりつつあり、このまま解散になるだろうかと誰もが思ったところで、テレビを眺めていたサエが思いついたように呟いた。
「……甘いもの食べたい」
脈絡のないその発言に、他の面々はどこか救われたような表情を浮かべる。
カイのケーキは本人がいる場で食べることにしているし、他にめぼしいストックもないので、この時間だとコンビニに行くしかない。「しょうがないわね」と一番にリンが立ち上がり、別にほしくないと渋るユウを促して、結局全員で出向くことになった。
最寄りのコンビニまで、街灯が途切れる場所はない。女性だけでも安全だ。
「こんな夜中にお酒と甘いものなんて、太っちゃいそうだね」
「ま、たまにはいいでしょ。しばらく節制しないとだけど」
「この際だから、酒も追加しとくか」
「え、まだ飲むつもりなの?」
「……足りなくなるよりいい」
「余ったら後で飲めばいいしな。腐るものでもなし」
「そう言っといて、酔いつぶれないでよ? 私はヤだからね、ベッドまで運ぶの」
「そりゃ、こっちのセリフだ」
「……小さくしちゃえば運びやすい」
「そういう問題でもないような……。意識がないとなれないし」
他愛のない雑談をしながら、四人は夜道を歩いていく。
先生たちの飲み会は、まだまだ終わりそうにないのだった。
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