ペット 空影 -karakage- 忍者ブログ
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2024/05/20 00:23 |
ココロノうちでの 第1-01話 「いつもの朝 (プロローグ)」

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ココロノうちでの 第1-01話 「いつもの朝」

ココロノうちでの まとめ

 暗闇と静寂が、世界を包んでいた。
 そのただ中に、体を横たえている。
 いくつかの、それまでの彼にとっては異分子とも言える事象が、眠りを妨げようとしていた。ガラガラと耳障りな音を立てながら開けられる扉。左頬を叩く小さな手。腰にかかる、重くはないが軽くもない重量。やがて降ってくる、女性の金切り声。
 最悪な、朝の目覚め。

「……うわぁっ」
 そこで情景は途切れた。
 悲鳴とともに、間宮海――カイは起き上がる。
 それが夢であったと理解するのに数秒。夢の中の出来事が、何を意味していたのかを理解するのに、もう数秒。ああいった事件は最初の一回しか起こらなかったのだが、今でも夢に見るとは、よほど印象に残っているらしい。
 ぼやけた頭を抱えながら枕元に視線をやると、ケータイのアラームが鳴動していた。二つ折りの機体に手を伸ばし、右上のボタンを連打する。定刻通りだ。脳みそはまだ覚醒しきっていなかったが、起きないわけにはいかない。
 あくびをかみ殺しつつ、カイは布団から這い出ると、畳の上に降り立った。上がりかまちまで、僅かに数歩。裸足のままサンダルを突っかけ、磨りガラス張りの引き戸を開ければ、眩しい初夏の日差しが差し込んでくる。
 目を細めつつ、壁沿いにある蛇口へ向かった。自室として使っているこの小屋――母屋にとっては「離れ」に当たる――の近くには、日常生活を送る上で便利だからと増設されたものがいくつかある。これはその内の一つだ。
 眠気覚ましと礼儀のために顔を洗っていると、ぺたぺたと、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。振り返れば、小さな女の子が庭の上を走っている。
「おはようございます」
「…………(こくり、と頷く)」
 離れの手前で停止した少女にあいさつをすると、返事の代わりなのか、彼女は無言で頷いた。カイが起きているかを確認しに来たのだろう、それだけで用の済んだ少女は背を向けて引き返していく。あの状態の彼女が必要以上のことは喋らない、というよりほとんど無口であると承知しているので、カイも声をかけようとはしない。
 少女が母屋にある自分の部屋へ向かうのを見送ってから、カイも母屋に足を運んだ。庭を横切って縁側でサンダルを脱ぎ、板張りの廊下を進んでいく。だんだんと香ってくるのは、みそ汁のいい香り。もう準備はできているらしい。
「おはようございます」
 ふすまを開けたそこは、居間として使っている畳部屋だった。中央に据えられた長方形の座卓には、果たして、朝食が用意されている。
 それを囲んで、三人の女性――いずれも、カイより年上に見える――が座っていた。カイの正面、ふすまから一番遠い、所謂お誕生席の位置には、シンプルなデザインのエプロンをつけた女性。カイから見てその左隣には、頬杖をついて俯いている、メガネをかけた女性。向かいの席には、新聞を読んでいる女性。彼女たちは、それぞれ、カイのあいさつに対して「おはようございます」「…………」「おはよ」と返してくる。三人とも、寝間着ではなく、朝食用のラフな格好だ。
「普通でいいですか?」
 定位置である、エプロン姿の女性とメガネの女性の間にカイが腰を下ろすと、エプロン姿の女性はそう尋ねてきた。遠くから――女の子が走り去った方向から「ぽんっ」という破裂音が聞こえてきたが、特に気にする様子もなく、肯定の意を得たエプロン姿の女性は傍らの炊飯ジャーからカイの茶碗にご飯を普通サイズに盛り、カイは食卓の上にあるお盆から味付け海苔の小袋に手を伸ばす。今朝の献立は、ご飯、昨日の残りのじゃがいもとわかめのみそ汁、これまた昨日の残りのひじきの煮物、「塩焼きは飽きた」というメガネの女性の進言による鮭の西京焼き、そして卵焼きという純和風のもの。
 後は、各員が集まるのを待つだけだ。
「ユウ、ユウ……!」
 その一名を覚醒へ促すべく、カイの前に茶碗を置いたエプロン姿の女性は、うつらうつらしているメガネの女性の肩を揺すった。眠そうな声を上げながらメガネの女性は目を開き、それを見計らったように、やはりラフな姿の女性が入ってくる。
 先ほどの少女と顔立ちは似ているが、彼女もまた、カイよりも年上に見えた。腰を下ろしたのは、新聞を読んでいる女性の隣。エプロン姿の女性は何も聞かずに彼女の茶碗にご飯をこんもりとよそい、新聞を読んでいた女性は、それを畳んだ。
「いただきます」
 五人分の配膳が終わり、朝食が始まる。
 ユウと呼ばれたメガネの女性が、箸の前にリモコンを持ち、部屋の隅にあるテレビを点けてニュース番組にチャンネルを合わせた。今日の天気を告げる声を聞きながら、それぞれの予定の確認や、晩の献立の相談をする。昨日の夕飯から丸十二時間ほどしか経っていないのだから、格別話題があるわけではない。
 それでも息苦しい雰囲気はなく、和やかに朝食は進んでいたが、ふと、
「そう言えばミナ、」
 新聞を読んでいた女性が、エプロン姿の女性に悪戯っぽさそうな視線を向けた。
「あのとき以来の卵焼きね」
「え?」
「しばらく作ってなかったみたいだけど、やっぱり意識してた?」 
 ミナと呼ばれたエプロン姿の女性の箸が、ぴた、と止まった。
 硬直したまま、新聞を読んでいた女性を見つめる。やがてその目は、最後に入ってきた女性に向けられ、ユウに向けられ、そして、カイに向けられた。
 途端に、ミナの顔は赤くなっていき、
「ぽんっ」
 破裂音とともに、ミナの姿が閃光と煙に包まれる。
 彼女――彼女たちが、そうなるときの合図のようなものだ。
 この音が聞こえたとき、状況の如何に関わらず、カイは咄嗟に目をつぶることにしている。後々、双方に遺恨を残すような光景は何も見えない。聞こえるのは、彼女の箸が落ちる音と、「ち、ちが、違うんです……」というあたふたとした弁明と、衣擦れの音、走り去っていく小さな足音。最後に入ってきた女性は「……お代わり」と、おそらく空の茶碗を突き出して呟いているが、それに反応する人物はいない。
 もういいかと思って目を開けると、ユウがこちらを見ていた。が、すぐに食事を再開して、真向かいに座る女性に視線を向けつつ、短く発する。
「リン、」
 リンと呼ばれた新聞を読んでいた女性は、バツが悪そうに、
「……あそこまで意識するとは思わなかったのよ」
 呟きつつ、最後に入ってきた女性から茶碗を受け取った。ミナの代わりにご飯をよそうためだろう。ユウが彼女の名前を呼んだのは、ミナをからかうような行いをたしなめるだけでなく、「お前のせいなんだから、お前がやれ」という意味合いもあったのかもしれない。ちなみに、放っておくと他の人の分も食べてしまいかねないから、最後に入ってきた女性にジャーを預けることは禁止されている。
 それはさて置き、ジャーに近いのは自分の方なのだから、自分がやるべきだ。そう考えたカイは、「俺がやりますよ」と茶碗を受け取ろうとしたのだが、
「…………」
 リンもまた、ぴた、と静止してしまった。
 じと、となぜか不機嫌そうな顔でカイを見つめ、差し出された手の平を見つめ、茶碗の乗った自分の手の平を見つめ、一度は茶碗を手渡そうとしたものの、途中で止まった手はするすると下降し、茶碗は座卓に置かれてしまう。その意図に気付き、自分が悪いわけではないのだが、カイは「……すみません」と謝罪し、対するリンは「別に、謝る必要なんて、」と返しながらも、不機嫌そうな表情を崩そうとしない。
 そのとき、弱々しいミナの悲鳴と、何かが倒れる音が聞こえた。
 真っ先に反応したのはリンだ。「ちょっと、大丈夫?」と言いながら、茶碗を残して居間から出て行く。ユウは立ち上がろうとせず、最後に入ってきた女性の興味は、目の前の鮭にしかない。カイが向かっては、本末転倒だろう。
 とりあえず、ご飯をよそってしまおう。改めてカイは手を伸ばしたが、寸前で空を切った。「ったく」と言いつつ奪っていったのは、リンに任せようとしていたユウ。自分の茶碗も持っているので、そのついでかもしれない。
 彼女もミナと同じように、何も聞かずに大盛りでご飯をよそう。
「ほら、サエ」
 名前を呼ばれて、ようやく興味の対象が移ったようだ。サエと呼ばれた最後に入ってきた女性は、茶碗を受け取ると、一杯目と変わらない量の白いご飯を、一杯目と同じスピードを保ちつつも下品に口を開けたりはせずに胃へ収めていく。
 一方のユウは、一杯目よりも少なめに自分の茶碗へご飯を盛ると、
「ん」
 しゃもじを持ったまま、もう一方の手を、カイに差し出した。
 ついでのついでにやってやる、という意味だと解釈したカイは、ひと口だけ残っていたご飯を口に放り込んだ。空になった茶碗を、躊躇いなくユウに手渡す。ユウもまた、躊躇いなく、それを受け取った。
 二人の手の平が交差し、微かに触れ合う。
 破裂音は、鳴らない。
「お、お騒がせしましたー……」
 と、エプロンのひもを結びながら、急ぎ足でミナが戻ってきた。後ろからは、「まだだってば。後ろ髪、からまってる」と、リンも彼女を追ってくる。
「ごめんね、サエ。さっきお代わりを……あれ、まだだった?」
 その僅かな間に、サエのお茶碗はすでに空になっている。
「……もう一回」
「それで三杯目? ということは、」
「……少なめに」
「よくできました」
 不満顔のサエに小盛りの茶碗を渡すと、ミナは元の位置に腰を下ろした。先ほどの慌てていた様子はなく、落ち着きを取り戻しているように見える。
「大丈夫ですか?」
 念のため、カイが尋ねると、座卓に転がった箸を拾うミナと目が合った。ミナは僅かに照れた表情をしたが、気持ちを落ち着けるようにゆっくりとまばたきをし、
「はい。まだご飯はありますから」
「……いや、じゃなくて、さっき何か倒れた音しましたけど」
「え? あ、」
 パチパチとまばたきが早くなる。
「だ、大丈夫です。ちょっと部屋で転んで、衣装掛けを倒しちゃっただけですから。片付けは、今は時間がないんで帰ってからやればいいですし」
「それって、あんまり大丈夫じゃないんじゃ……」
 心配半分、そもそもは自分のせいに思える責任感半分から、カイはさらに詳細を聞こうとしたが、傍らの「ごちそうさん」という声が遮った。食べ終えた茶碗や皿を持って立ち上がったユウは、流しに向かうべく、カイの後ろを通り過ぎていく。
「遅れるぞ、さっさと食べないと」
 壁掛け時計を見上げ、まだ五人の登校時間には間があることを確かめていると、ミナが話しかけてきた。ユウの姿はすでにない。
「ユウ、文句言わず食べてました?」
「鮭ですか? みたいですよ。残してなかったですし」
「期待外れではなかった、と。その……カイくんはどうでした?」
「美味しかったです。面倒じゃなければ、また作ってください」
「わかりました」
 にこ、とミナは嬉しそうに笑う。
「さっきは悪かったけど、また作ってよ? 卵焼き」
「……ないと物足りない」
「別にリンが悪いわけじゃ……うん、また作るね。あ、リン、お代わりは?」
「ミナのお弁当の分、まだあるの?」
「大丈夫」
「じゃあ、少しだけ」
「カイくんは?」
「いえ、俺はこれで十分です」
 ミナの問いに答えていると、不意にカイは、奇妙な感覚に捕らわれた。それは、今日だけではなく、気が付かないうちに何度も抱いてきた思いだ。
 自分がこの場にいることが、当たり前になりつつあると。
 もちろん、ぎくしゃくした部分がなくなったわけではない。ただ、四人がこの家に移り住んできた当初、拭おうとしても拭いきれなかった戸惑いや違和感は、自分の中で薄れていっているように思えた。おそらくは、同居人たちの中でも。
 いつしか、日常へと溶け込んでいく、非日常。
 カイが拒絶すれば、何も変わらなかったはずだ。ここでの生活が始まっても、いっしょに食卓を囲むことも、会話をすることも、笑顔を交わすこともなく。
 けれど、
「ごちそうさまでした」
「はい、おそまつさまでした」
 カイはそうしなかった。むしろ、受け入れた。
 だからこそ、こうして今も紡がれている。
 カイだけではない、五人にとっての、いつもの朝が。

 第1-02話
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2011/09/02 03:40 | Comments(0) | Original

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