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2024/05/19 21:18 |
【コラム】 「パルフェ」から考えるフラれ女と受け皿:後編

 長くなったので前後編に分けました。……それでも十分に長いですが。
 書いているうちに思わぬ方向に論が広がるのは(もちろん、それをある程度は制御した上で)好ましい事態だと思うのものの、さすがにくたびれました。まぁ、言いたいことは言えたのでスッキリしてます。

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 「パルフェ」から考えるフラれ女と受け皿:後編

 前編はこちら

■〈フラれ女〉をなくす方法について
 ここまで、〈フラれ女〉と、彼女に対する〈受け皿〉について見てきました。正しい〈受け皿〉の存在によって、〈フラれ女〉や彼女に感情移入した受け手は、(幾分かは)救われることができると言えます。 
 ただし、これは〈フラれ女〉が生み出された後の、いわば対症療法です。そもそも〈フラれ女〉がいなければ、受け手が彼女に対して心配することもなくなり、〈受け皿〉など必要なくなるでしょう。
 その方法は、あるにはあります。
 
 一つ目は、〈フラれ女〉が生まれる土壌である、「男性と女性は一対一」という概念を取り払い、複数の女性キャラを一人の男性キャラと結びつけてしまうことです。俗に「ハーレムもの」と呼ばれる形式であり、すべての女性キャラは自分の思い人と恋を成就させるのですから、〈フラれ女〉は生まれません。
 しかし、作品上においては、そうした「一対多」の関係が許されたとしても、受け手である我々(現代における日本人)は、「一対一」が当然という倫理観を持っています。倫理観がピンと来ないのならば、恋愛をする上で当然あってしかるべき「嫉妬心」や「独占欲」と置き換えてもいいでしょう。

 この、作品世界と現実世界のギャップにどう対処するのか。
 キャラたちが抱える葛藤を作品中で解きほぐし、「自分たちは『一対多』の関係に満足している(それを望んでいる)」とするか、あるいは、「ギャップや葛藤なんてものはないとする」と端から無視してしまうか、この二つの方向性が考えられます。どちらも、「一対多」を肯定するという姿勢は同じです。
 が、前者はよほど丁寧に描写しなければ消化不良のまま終わる危険性があり、後者は「ご都合主義」というレッテルが貼られ、「ハーレムもの」を求める一部の愛好家に向けた、閉じられた作品になってしまうでしょう(もちろん、だからと言って、そういった作品に価値がないわけではありませんが)。

 もう一つは、一人の男性キャラの相手を、一人に限ることです。〈フラれ女〉は三角(以上の)関係から生まれるのですから、恋愛関係が二人の間だけで完結すれば〈フラれ女〉は生まれません。
 ただ、その場合、ドラマの盛り上がりに欠ける可能性があります。

 三角関係における〈フラれ女〉は、一人の男性キャラを他の女性キャラと取り合う「恋のライバル」であり、彼女の存在が、男性と女性が結ばれる未来へ向けて、解決すべき障害となります。 
 こうした障害を乗り越えることでドラマが盛り上がり、カタルシスが生まれるのですが、恋愛がメインではない作品、例えば「バトルもの」や「スポーツもの」ならば、恋愛以外の部分で障害を設置することができる一方、恋愛をメインとする作品では、本筋から乖離しないよう、障害は、恋愛(人間)描写と関連したものに限られます。なおかつ、障害を解決することで「二人(だけ)の仲が深まる」という結末を迎える必要があり、その展開へスムーズにつなげるべく、解決に至る過程においては二人以外のキャラを排除しなければなりません(例えば、解決のために尽力するのが三人だとしたら、その三者間で絆が深まることになってしまいます)。

 恋のライバルが登場せず、かつ恋愛がメインである作品の例としては、「彼氏彼女の事情」や、攻略ルートに入った後のギャルゲーなどが挙げられます。実は、「パルフェ」も、恋のライバルがいないという点からすると、かすりや明日香(PS2では瑞奈も)が該当するのですが、「カレカノ」や、かすり・明日香のすべてに共通するのは、障害が発生した時点で、すでに二人が恋人関係にあるということです。
 これにより、「二人以外のキャラを排除する」という目的が達成されています。二人は特別な関係なのですから、障害の解決にあたって、二人だけで行っても不自然ではありません(かすりや明日香の場合、主人公は彼女たちの雇い主であり、実質的に権限や責任を持っていることも関係しています)。

 しかし、障害が発生した時点で、まだ恋人関係ではないとすればどうでしょう。
 例えば、女子高生の女性キャラAに障害が発生し、その時点ではAにとってクラスメートの一人でしかない男性キャラBが、将来の恋人相手だとします。この場合、普通に考えれば、Aとともに障害を解決する(Aから相談を受ける)のは、同性の友人であるはずです。仮に、AとBがすでにそこそこの仲だとしても、他の友人が手助けしない理由にはならないでしょう。二人以外のキャラを排除することは難しく、Aにとって相談できる友人が(異性の)Bしかいないとしても、それはそれで問題のある設定になってしまいます。
 つまり、「二人以外のキャラを排除する」ことが困難になるのです。
 また、友人には相談できない(Bにだけは特別に相談できる)悩み事である場合も、(二人で)解決した後に、今度はその友人と、「どうして自分に相談してくれなかったのか」というわだかまり生むことになるでしょう。そうした点を「ささいなこと」として目をつぶってしまうのならば、話は別ですが。

 そのため、この場合の障害は、恋愛関係に限定されます。
 例えば、BがAに告白し、どうすればいいかAが迷うとしましょう。これならば、Aが友人に相談したとしても、解決するのは当事者であるA(とB)ですから、障害が取り除かれる=AとBが結ばれるという結末を迎えても、Aと友人の絆が深まることは(Bほどは)ありません。AがBに思いを寄せている場合も同様です。
 ただし、どうすればいいか迷う理由は、「過去に親から虐待にあっていたため恋愛というもの(人を愛すること)がわからない」といった、明確なものは避けなければなりません。でないと、「放っておけない」と言って、解決のために友人が奔走する可能性があります。つまり、障害を恋愛関係に限定すると、その場合のキャラは、明確な理由もないのに恋に不器用なキャラでなければならなくなるのです。

 翻って、恋のライバル=後の〈フラれ女〉はどうでしょう。
 彼女ならば、恋人関係になる以前、以後関係なく障害になり得ます。上記と同じ理由で、友人がいたとしても、彼らは当事者ではないため自然とフェードアウトさせることもできます。障害を取り除くことによる「二人の仲が深まる」という展開へのつなぎも、非常にスムーズになるでしょう。
 このように、恋のライバルという手法は汎用性に富むことがわかります。悪い表現であることを承知であえて言えば、障害を設置する上で、恋のライバルが最も手っ取り早いのです。

 また、いわゆる「ラブコメ」作品においては、作品の人気はヒロインの人気と直結している部分があり、メインヒロイン以外の女性キャラをすべて脇役として、登場頻度を少なくすると、作品の人気はメインヒロイン一人が担うことになってしまいます。これは非常にリスキーであり、メインヒロインだけでは賄えない人気を補うため、サブヒロイン(ハーレムものでなければ後の〈フラれ女〉)という存在が必要になります。
 男性キャラを増やしてそれぞれにヒロインを割り当てる方法もありますが、ヒロインの描写が本質であるはずのラブコメにおいて、男性キャラは極力少なくしなければならないでしょう。結果として、「一(主人公)対多」というありがちな形式ばかりになるのも、無理からぬことかもしれません。

 以上、「複数の女性キャラを、一人の男性キャラと結びつけてしまう」場合と、「一人の男性キャラの相手を、一人に限る」場合、いずれにも制約があり、頻繁に使用できるものではないと言えます。
 やはり、これからも〈フラれ女〉は生まれ続けていくと見ていいでしょう。そして、それは、〈受け皿〉もまた、彼女たちに感情移入した受け手によって、求められ続けていくことを意味しています。

■総論
 そろそろまとめに入りましょう。 
 〈フラれ女〉や〈受け皿〉がどういったものか、それらが今後もなくならないであろうことは、これまでに述べてき通りです。総論としてここで記したいのは、今回は「パルフェ」という作品を通して、二次創作の観点から見てきましたが、本稿は、二次ではなく「一次創作」、すなわち、自分の手でオリジナルの作品や〈フラれ女〉、及び〈受け皿〉を生み出す際においても、重要な点を示唆しているということです。

 一つは、「〈受け皿〉が必要だ」と受け手に思ってもらえるような〈フラれ女〉にすること。
 そもそも、受け手に感情移入してもらわなければ、〈フラれ女〉はただ「フラれた」だけになり、作中の描写量が多かったにも関わらず、受け手にはさして重要なキャラだと見られなかったことになります。「〈受け皿〉が必要だ」と思ってもらうことによって、〈フラれ女〉は存在意義を得るとも言えるでしょう。

 もう一つは、〈フラれ女〉に感情移入してくれた受け手に対して、納得できる〈受け皿〉を用意すること。
 「必要だ」と思ってもらうだけでは、受け手の思いは宙ぶらりんになってしまいます。そうならないためにも〈受け皿〉を、それも、受け手が納得できる〈受け皿〉を用意しなければなりません。でなければ、宙ぶらりんが解消されるどころか、受け手は作品自体に対して不満を持ってしまうでしょう。
  
 ただし、いずれの場合も、作者にとっては非常に難しい問題です。
 前者については、自分の意図した通りに感情移入してもらえるよう、描写を積み重ねていかなければなりません。しかも、それが実を結んだかどうかは、受け手側の判断に委ねられてしまいます。
 後者についても、それが納得できる〈受け皿〉かどうかは、作者側からはわかりません。また、〈受け皿〉の中でも、「異性」は、実際にそのような行為がなくてもお気に入りだった〈フラれ女〉が「寝取られ」と見なされ、嫌悪の対象となる恐れがありますし、「夢」についても、「恋と仕事のどっちを取るか」といった状態になり、ともすれば、恋愛描写の妨げになる可能性があるため、慎重に扱う必要があります。 

 里伽子に照らし合わせてみれば、前者は(個人的には)成功したと思えるものの、残念ながら後者は放置される形になり、自分の思いは宙ぶらりんになってしまいました。ただ、だからこそ、今回こうして、〈フラれ〉女と〈受け皿〉の有り様について考え、本稿をしたためるきっかけになったと言えます。
 そういった意味でも、自分にとって里伽子は、大切な〈フラれ女〉だったのです。

 自分が作品の作り手になり、〈フラれ女〉を生み出すとしたら、里伽子のようなキャラにしたい……しよう。里伽子には用意されなかった、受け手に納得してもらえるような〈受け皿〉を、きちんと設定して。
 そう考えつつ、この論を終わらせたいと思います。

◆◆◆◆◆

 ここからは補論(余談)です。

補論1:玲愛について
 本稿の初めの方で触れたものの、玲愛については説明していませんでした。

 なぜ、他のキャラではなく、玲愛を里伽子の友人として設定するのか。
 前述したように、「玲愛が好きだから」という理由もあるのですが、それだけではなく、玲愛以外に里伽子の友人は務まらないという考えに基づいています。もちろん、かつての職場仲間であり、今も交流があるのだからファミーユの面々と仲が悪いわけではないのですが、〈受け皿〉としては不的確でしょう。
 恵麻は最大の恋敵ですし、明日香は年下で、恋愛の相談相手としては力不足。かすりは一番年が近いものの、何でもソツなくこなす里伽子に負い目を感じているフシがあり、里伽子を受け止められるかには不安があります。由飛とは決定的にソリが合いません。PS2版の追加ヒロインは描写不足で判断不能。

 というわけで、玲愛しかいないのです。
 アッパーとダウナーという性格の差はあれど、主人公が指摘している通り、玲愛は里伽子と能力的に対等ですし、元来の世話好きな性格もあって、よき相談相手になってくれるでしょう。

 そして、里伽子にとって玲愛が〈受け皿〉になり得るだけではありません。その逆のパターン、つまり、玲愛が〈フラれ女〉になる場合、彼女にとっても里伽子が〈受け皿〉になるのでは、と考えられます。
 玲愛には友人として、予め瑞奈が設定されているのですが、PS2版では瑞奈も主人公に好意を抱いてしまいました。「第三者」としての瑞奈ならば玲愛の〈受け皿〉になってくれたでしょうが、「主人公をめぐるライバル」となった際、かすりと同様、玲愛に負い目を抱いている瑞奈はそうならない可能性があります。

 その点、里伽子と玲愛ならば、たとえどちらかが主人公に選ばれたとしても(片方だけが〈フラれ女〉になっても)、一度友人になってしまえば、それぞれがそれぞれのことを見捨てることなんてできず、友人=〈受け皿〉としての関係を続けてくれるのではないか。そう思わせてくれます。
 これが、二次創作において、里伽子と玲愛を友人と設定する理由なのです。

 ちなみに、玲愛と瑞奈は、里伽子と違って本編開始後に主人公に思いを寄せるようになるため、〈フラれ女〉にならない可能性があります。が、二次創作をする上での自分なりの信条として、すべてのルートを起こり得ることとして捕らえているため、そうならない可能性は見ないことにしています。
 要するに、主人公にホレていない玲愛など、自分的にはあり得ないのです。

補論2:純夏について
 「パルフェ」の里伽子を中心に展開した本稿ですが、実は、〈受け皿〉のことを強く想起したのは里伽子ではなく、「パルフェ」の前にプレイした、「マブラヴ(エクストラ)」の純夏からでした。純夏の場合、立ち直る云々の話は完全な想像になってしまい、論が展開しづらかったため、里伽子をメインとした次第です。
 純夏も好きなキャラなのですが、「主人公の幼なじみ」という属性を付与された反動からか、彼女の世界は非常に狭いものでした。クラスメートであるはずの他のヒロインたちとも名字に「さん」付けで呼び合うなど、それほど親しい様子はなく、名前+「ちゃん」で呼んでくれるヒロインにしても、彼女の場合は誰に対してもそうですから、純夏と格別仲がいいわけではありません。唯一、(主人公をめぐるライバルとして)意気投合したヒロインも、誰のルートに入ろうと、いずれは純夏の下から去っていってしまうと思われます。

 とにかく、純夏は主人公への依存度が高く(里伽子も大概なのですが)、彼を中心として純夏の世界が回っていると言っても過言ではありません。友人以外の〈受け皿〉も見当たりませんし。
 そんな純夏が、〈フラれ女〉になってしまったら……。

 おそらく一人ぼっちになるであろう純夏の姿を想像すると、胸が「くーっ」と締め付けられます。純夏を含めて、〈フラれ女〉となってしまうキャラを、できればすべて救ってあげられる「何か」を作らなければ。
 そんな思いから、〈受け皿〉という答えに行き着いたわけです。
 
補論3:〈フラレ男〉
 本稿は〈フラれ女〉についてですが、もちろん、女性だけではなく、〈フラれ男〉も存在します。
 〈受け皿〉の例から見てみると、

 友人:「ハチミツとクローバー」 竹本裕太→森田忍(森田忍→竹本裕太)
 異性:「めぞん一刻」 三鷹瞬→九条明日菜
 夢:「イエスタデイをうたって」 湊航一→写真

 といったところでしょうか。
 偶然か、はたまた無意識のうちに恣意的になったのか、女性作家の作品ばかりなのが興味深いです。おそらく女性のクリエイターが携わり、〈フラれ男〉が増産されているであろう、いわゆる「乙女ゲー」ではどうなっているのかも気になります……が、確かめてみようという気力や勇気はわいてきません。

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2010/09/01 18:35 | Comments(0) | TrackBack() | Column

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