ココロノうちでの 第1-17話 「彼の帰り道」
ココロノうちでの まとめ
食事会が終わり、とっぷりと夜も更けた。
優衣を自室まで送り届けたカイは、「お茶でも飲んでく?」という優衣の誘いを「遅くなるから」と断り、和美を連れだって帰途に就いた。同じ電車に乗り、和美に釣られて食べ過ぎてしまったお腹を抱えながら、駅からの道を歩いて行く。
和美の家――比良坂家は、カイの家とは目と鼻の先にある。学校へ行くよりも近く、家が近所のため幼いころから交流があった。小中学校も同じだったが、高校まで同じで今も付き合いがあるのは、和美以外、ほとんどいないだろう。
ただ、この関係は、学校ではあまりひけらかさないようにしていた。お互い、積極的に相手へ話しかけることも滅多にない。今日のように顔を合わせる機会はあるのだから、仲が悪いわけではなく、照れか、あるいは自然の成り行きだ。
カイにとって幸運だったのは、和美がいきなりカイの家へ遊びに来るような間柄でもないことだった。それと、比良坂家の位置関係も。駅からは彼女の家の方が近いため、カイの家の前を通らなくて済む。家の入り口から見ても同居者がいると気付かれないように注意はしているが、何があるかわからない。
「あ、そうだ」
駅からの道を、二人は肩を並べて歩いていた。近すぎず、端から見ると二人連れだとわかるくらいには遠すぎず。和美の身長はカイと同じくらいであり、食事会は健全なまま終わったので、歩幅を合わせる必要はない。他愛のない話を続けている中、彼女が思い出したように声を上げたのは、和美の家までもう少しのところだった。「カイ、」と、学校では口にしない呼び方とともにカイへ目を向けると、
「あんたさ、何かあったの?」
ピクリ、と反応せずにいられただろうか。
「玲美と」
一瞬、身構えたが、先生たちとのことではないようだ。
内心ほっとしつつ、姉である和美に問い質されるような事態が玲美との間にあったか記憶を探る。しかし、何も思いつかない。
「さっきメールしてたみたいだし、そんなに大事ではないと思うけど……」
玲美からの返信は、向こうも食事中だったのか、タイムラグはあったもののすでにもらっていた。「今度誘われたときは自分も行きたい」「優衣によろしく言っておいて」という当たり障りのないものだ。特に引っかかる部分も見受けられない。
「何かあったのかな、嫌われるようなことしちゃったかな、って言ってた。まぁ、あんたのこととなるといろいろ気にしすぎるのはいつものことだけど」
思い当たるとすれば、ここ一、二週間ほど、玲美からの誘いを断ってしまっていたことくらいだ。何かと忙しかったことや、タイミングが合わなかったこともあり、しばらく顔を合わせていなかった。事情が事情だけに、詳しく説明もできない。
「それかもね」
事情のことは伏せて話すと、和美はあっさり頷いた。それぐらいのことで、とは思うものの、それぐらいではないのだろう、玲美にとっては。
「あんただって、そう毎日体が空いてるわけじゃないことはわかってるけど、ちゃんとフォローしてあげてよね。ただし、この話をあたしから聞いたとは言わないように。玲美から頼まれたわけじゃないし、知ったら気にしちゃうだろうから」
玲美の前ではどうかわからないが、和美はこうして、時々「お姉ちゃん」の顔を覗かせる。「了解」と請負うと、彼女は頷いて足を止めた。
気が付けば、比良坂家の前まで来ている。
「寄ってく? 玲美は喜ぶと思うけど」
「いや、やめとく。家族が揃ってるところに顔を出すのは、ちょっとな」
「気にしなくていいのに」
微笑む和美の向こうにあるのは、二階建ての一軒家。建て売り住宅ではなく、以前までは時々うらやましくも思った、カイの家と比べれば大きさも外観も極普通の家だ。玄関の明かりが点いているところを見ると、家族は屋内にいるのだろう。
「それじゃ、またね」
フォローはすると言ったものの、さすがにご両親が揃っているところに乗り込む気力はない。電話かメールでする旨を告げ、和美とはそこで別れた。
入り口のドアが締まるのを待って、再び歩き出す。
一度だけ振り向いても、誰かが追いかけてくる気配はない。そのまま前を向き、自分の家への道を進んでいく。
静かな夜だった。まばらに雲の浮かぶ空には月が光り、数えるほどしか見えない星とともに淡く地上を照らしている。団欒の時間は過ぎたのか、家々から聞こえる声は遠く、人通りのない路地に響くのはカイの足音だけ。
携帯電話で時間を見ると、日付が変わるよりもだいぶ前だった。平日ならば、ユウが離れに上がり込んでいる頃合いだ。玲美はまだ起きているだろうか。気が緩むと眠りに落ちそうなので、その前に連絡をしなければならない。
そう考えながら、歩くのを止める。
そこはもう、カイの家だ。
庭を横切りつつ目に入った母屋は、カイが出かけたときと同じ――明かりが消えたままだった。先生たちはまだ帰っていないのだろう。今日中には戻るはずだが、真っ暗な家を見ていると、思わず妙な感情を抱いてしまいそうになる。
誰もいない家なんて、見慣れていたはずなのに。
「ふぅ」
離れの扉を開けたカイは、「ただいま」の代わりに息をついた。電気を点け、どう切りだそうか考えつつ、携帯電話から玲美のアドレスを探す。
母屋の明かりが点いたのは、それからしばらくしてからだった。
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