ココロノうちでの 第1-05話 「毎日の始まり」
ココロノうちでの まとめ
午後も過ぎて、夕食の時間になったころ。
掃除を続けていたカイは、ミナの呼びかけで居間へ向かった。
ふすまを開ければ、座卓の上には、すでに準備がしてある。リクエストしたハンバーグを始め、付け合わせにもやしと青菜の炒め物、大きな木目のボールに入ったサラダ、「ピクルスです」と説明されたキュウリ、大根とわかめのみそ汁。並んだ食器は見たことのないものばかりだが、湯飲み同様、先生たちが持ち寄ったのだろう。
「おぉ」
思わず、感嘆の声が漏れる。
考えてみれば、この部屋でまともな食事をするのは、いつ以来だろう。
「カイくんのお茶碗とお箸、これでよかったですか?」
昼間にも座った位置にあぐらをかくと、隣に正座したミナが尋ねてきた。ほとんどの食器は母親が持っていってしまったので、食器棚に残っているのは僅かだ。自分の分は手前に置いてあるので、判別するのも簡単だったかもしれない。
「……あぁ、それくらいで」
ミナの傍らに置かれた炊飯ジャーから、白飯をよそってもらう。
ちなみに、これもカイの家にあったものではない。一つあれば十分な家電や家具は、五人の持ち物の中から一番上等な品だけを残しておくことにしていた。
カイ宅にあったものは、しばらく買い換えていないオンボロばかりだったので、残っているのはキッチンにある冷蔵庫くらいだ。ここに来る前、先生たちはそれぞれ一人暮らしをしていたらしいから、単身者用の小さいものよりは、多少古くても、以前は四~五人で使っていた大きめのものの方が都合がよかったのだろう。
「ユウも、ご飯よそっていいの?」
「あぁ。酒は後にする」
「……飲むことは飲むんだ」
そのうちに、他の先生たちも集まり、夕食が始まった。
揃って「いただきます」と言ってから、箸を取る。
早速、本日のメインディッシュへと。これもリクエスト通り、洋風らしく茶褐色のソースがかかったハンバーグを割ると、中から肉汁があふれ出てきた。期待と空腹にはやる気持ちを抑え、たっぷりとソースをからめてから、一口目をかみしめようと、
「(じーっ)」
と、誰かの視線を感じた。
横目で見やれば、箸と茶碗を持ったまま、ミナがこちらを注視している。緊張の面持ちで、食べ始める様子もない。こちらの反応を伺っているらしい。
カイも緊張を覚えつつ、ハンバーグを口に含んだ。じっくりと味わってから、なるべく笑みを浮かべて、ミナに顔を向ける。
「美味しいですよ」
その言葉に、「よかった」とミナは胸をなで下ろした。
どうやら、先方の望んだ答えを返せたようだ。こちらも安堵を感じながら、食事を続ける。本当は、少々難ありでもお世辞を言うつもりだったが、その必要はなかった。「美味しい」というのは素直な感想だ。ほっとする、とでも言えばいいのだろうか。初めて食べたはずなのに、どこか懐かしさを感じる味だった。
この料理を毎日味わえるのは、喜ばしいことではある。
「ミナ、取り箸は?」
ミナから解説を聞きつつ、彼女の料理に舌鼓を打っていると、カイの向かい側に座っているリンが声を上げた。見れば、空になったサラダの取り皿を持っている。
ただ、彼女の前に置かれた皿にはまだ残っていた。サエの前には皿がなく、彼女の代わりにボールから取ってあげようというのだろう。そのサエはと言うと、リンに任せているのか、炒め物をソースに浸すことにご執心だ。
「あ、さっき使って、流しに持って行っちゃったかも」
「直箸でいいだろ、別に」
ミナとユウの返事が重なった。
一瞬だけ、カイとリンの目が合う。
「取ってくる」
やや間があって、ぶっぎらぼうに言ったリンは立ち上がった。後者の案は却下されたらしい。「わたしが、」と言いかけたミナを手で制して、台所へ消えていく。
「あ、あの、」
リンの背中を見送っていたミナだったが、カイの方へ向き直ると、慌てたように話しかけてきた。ずいっと汁椀を突き出して、
「お味噌汁にしてみたんです」
「?」
「えっと、洋風の献立だから、スープにしようかとも思ったんですけど、これからお夕飯を作るんだったら、わたしの味というか、傾向というか、そういうものに早く馴染んでもらおうと思って……。どうですか? 塩っ辛かったりしませんか?」
「えぇ。ちょうどいいです。美味しいですよ」
またも、嬉しそうな笑顔。
「お味噌汁って、その家の味ってありますよね? 出汁はこうじゃなきゃダメとか、お味噌はこれがいいとか。お口にあったみたいで、よかったです」
「特にそういう、こだわりみたいのはないですしね。母親が作ってたときはあったかもしれませんけど、最近はずっとインスタントでしたから」
「インスタント……ですか。そう言えば、食器棚にありましたね」
そこで、ミナは訝しげな表情になり、
「あの、普段はどんな食事してたんですか? お米はありましたけど、あんまりキッチンは使ってなかったみたいですし。やっぱり、コンビニのお弁当とか……」
「それだと高くついちゃうんで、スーパーで惣菜買ってました、ご飯だけ炊いて」
「こいつはな、食事に頓着しないんだよ。味オンチってわけじゃないんだが」
と、ユウが会話に入ってくる。
「頓着しないっていうと……」
「コロッケと温野菜を三日連続、とかですね。自慢できることじゃないですけど」
「しかも、同じドレッシングでな」
「……な、なるほど」
ミナが微妙なリアクションをしたところで、リンが戻ってきた。
元の位置に腰を下ろし、持ってきた取り箸でサエの皿にサラダをよそう。そのまま、自分の分もよそい、ユウにも尋ねたが、「まだいい」と断られ、
「あんたは?」
「あ、はい。……お願いします」
リンに皿を渡して、サラダを取ってもらう。最後に、ミナの分も。
全員に配り終え、リンは取り箸をボールのフチに置いた。
と同時に、
「ねえ、」
自分を呼びかけているとは気付かなかったので、僅かに反応が遅れる。
「は、はい。何でしょう」
「どうして、」
言いかけて口を閉じ、一拍置いてから、リンは再び口を開いた。
「トイレが二つあるの?」
「食事中にそんな話か」
「……気になったのよ」
「じいちゃんが付けたんですよ、離れを改造したときに。元々あった方は離れから遠くにあったんで、そこまで歩くのは億劫だから、ってとこでしょうね。ついでに、古い方のトイレとかキッチンとか、他のとこもいろいろ手を加えたみたいです」
「だから、お風呂とかも新しかったんだ」
「この家の外見に比べれば、ですけどね」
「でも、おかげで、あんたと私たちが使うトイレを別々にできたんだし……便利は便利よね。お祖父様には感謝しないと」
「はぁ」
話の流れが読めず、曖昧な返事をするしかない。
「あ、けど、先生たちの使う方が古いんですよね。いくら改修したっていっても」
「それは別にいいんだけど、」
リンの言葉は続かなかった。カイから目をそらし、三度口を開こうとするも声が発せられることはなく、やがて、諦めたように食事を再開してしまう。
しばしの沈黙。
カイもリンに倣って黙々と箸を進めたが、五人が押し黙っている状況に、次第に息苦しさを感じ始めた。初日からこれではマズいのでは、という焦りもある。
傍らのミナも気まずげに目線を上げ下げしているものの、やはり会話の糸口が見つけられないらしい。隣のユウが加勢してくれるはずもない。
仕方なく、無理にでも話を切り出そうとしたが、対面のサエがそれを遮った。「おかわり」と空になった茶碗――実は、すでに二度目なのだが――を突き出し、受け取ったミナも、必要以上に大きな声で「はい」と答える。
ご飯がよそわれるのを待っている間に、サエは畳に転がっていたリモコンでテレビをつけた。居間にあったテレビは離れに持っていっていたため、わざわざ買い足すほどでもないだろうとユウが自分で使っていたものを提供したのだ。壁掛け時計を見上げると、長針がちょうど真上に来るころだった。見たい番組があるのかもしれない。
「食事中のテレビは禁止だったりする?」
サエの代わりに、リンが尋ねた。
「え? あぁ、いいんじゃないですか? 別に」
「いいって。よかったわね」
「…………(画面に見入っている)」
「あんまり、お行儀はよくないけどね」
「はい、サエ」
「…………(画面を見つつも箸は動いている)」
「あたしのも頼む」
「はいはい。……ご飯、明日の朝の分あるかな。多めに炊いたのに」
「パンでいいだろ」
「一応、買ってはきたけど。カイくんって、朝は……」
その後は、テレビの音をBGMにしつつ、共同生活の約束事を確認していった。サエの行動が助けになったかどうかはわからないが、沈黙からは脱せられたようだ。
とりあえず、安堵を覚える。沈黙から脱せたことと、そのことに他の面々も安堵を覚えているらしいことに。黙っていることを苦に思うのが自分だけでは、毎日の食事が無味乾燥としたものになるだろう。この点は、明日からも安心だ。
何より、料理は美味い。本当に。
早くも明日の献立を楽しみにしつつ、カイもお代わりをもらうことにした。
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