ココロノうちでの 第1-12話 「彼女の不安」
ココロノうちでの まとめ
夕食後の離れ。
例によってユウが居座っているところに、戸がノックされた。「はい」と声をかけつつ開いた扉の向こうに立っていたのは、昨日、ここを訪れた二番目の人物。
予想はしていたが、やはりミナだった。
「ごめんなさい。今、」
伏し目がちに佇んだミナは、前回と同じように、「大丈夫ですか?」と続けるつもりだったのだろう。が、靴脱ぎ場に置かれたサンダルを見つけ、その向こうに見知った背中があることを察して、気勢を削がれてしまったようだ。
「あ、ユウ先生は自分の部屋にテレビがないから仕方なく……」
カイの説明も終わらないうちに、「ま、また今度にします」と言ってミナは足早に去ってしまった。追いかける間もなく、母屋へと駆け込んでいく。
おそらく、昼間の件で訪ねてきたのだろう。時刻を考えると今日はもう来ることはなさそうだが、このまま放っておくわけにもいくまい。
さてどうしたものかと考えつつ戸を閉めて元の位置に戻ると、向かいに座っていたユウが尋ねてきた。テレビに目を向けたまま、淡々とした口調で、
「お前、何かしただろ」
「……向こうがした、とは考えないんですか?」
「何やったんだ?」
ユウの指摘に間違いはなく、黙っているのも得策ではないと判断して、渋々と説明を始める。優衣の名前が出たときだけは手を止めて、じーっとカイを見つめてきたが、ユウの表情に変化はなく、説明が終わると咎めることも慰めることもせずに、
「なるほどな」
と一言呟いて、画面に向き直った。
「それだけですか?」
「他に何かしてほしいのか?」
あっさり返されると二の句が継げない。共同生活を続けるのなら、これぐらい一人でどうにかしろということなのかもしれないし、単純に自分で動くのが面倒なのかもしれないが、いずれにせよ、カイから行動を起こさないと事態は好転しないだろう。
それには、二人で話す場を作ることだ。
ミナもそう考えて、こちらに出向いてくれたのだと思う。ただ、ユウがここにいると知られてしまったので、彼女を追い出して――言うことを聞いてくれれば、だが――二人きりになれる場所を設けても、「自分のためにユウに迷惑をかけてしまった」とミナが気負いかねない。まさか、彼女の部屋を訪れるわけにもいかないだろう。
となると、と頭を悩ませて、カイは一つの案にたどり着いた。
翌日の放課後。
ピザ屋の店員とはまだ続いているようで、今日もタクは授業が終わると一目散に帰っていた。優衣からのお呼びもかからず、カイは一人、文芸部室の片付けをしている。
廊下に置いてある共用の掃除用具入れからホウキとチリトリを引っ張り出して床を掃き、部員とタク以外に見つかると少々マズいものを適当に隠し終わったころ、ドアがノックされた。昨晩と同じように、声をかけつつドアノブを引く。
立っていたのはミナだ。
「ごめんなさい。待たせてしまって」
「いえ、掃除してましたから、ちょうどよかったですよ」
謙遜ばかりではないことを口にしつつ、彼女を招き入れる。昨日、タクが座っていたソファーを勧めると、ミナは静かに腰を下ろした。
カイも彼女の向かいに着席し、さりげなくミナの様子を観察する。隠そうとはしていてもにじみ出てくる緊張感は伺えたが、離れを訪れたときよりはマシのようだ。二人きりという状況に慣れたのではなく、ここが学校――公共の場だからだろう。
そう考えて、カイはミナをここに招いていた。
放課後、来てくれるように頼むだけなら、カイ宅でも他の人の目を盗んで行える。ミナは驚いていたものの、二つ返事で承諾してくれた。生徒と教師の密会というシチュエーションは、見つかれば問題になるかもしれないが、ミナならば言い訳がつく。
彼女は、この部の顧問なのだから。
顧問が部室に訪れることに、特別な理由はいらないだろう。
「よく来るんですか? ここ」
生憎、冷蔵庫まではなく、先ほど買ってきたペットボトルのお茶を紙コップに注いで差し出すと、ミナは礼を言って一口含んでから会話を切り出した。文芸部という性質上、教師の助けが必要になる機会はあまりなく、そもそも部活動自体盛んではないため、ミナがこの部屋に来たことは、カイが知る限り両手で数えられるほどだ。
「えぇ、まぁ。暇なときとか、ちょくちょく」
「いいんですか? 間宮君……カイ君の、その……居場所なのに」
「喫茶店やファミレスってわけにもいきませんからね。ここなら、悲鳴を上げれば周りの部屋から誰かしら来てくれると思いますよ?」
自分の緊張をほぐすためにも冗談めかして言ったのだが、ミナは曖昧に微笑しただけだった。ソファーには深く腰掛けず、落ち着かなげに視線だけを動かしている。カイと同じように、本題に入るタイミングを計っているのだろう。
このままニラめっこを続けていてもラチが開かない。あまり深刻な口調にならないよう気を付けつつ、意を決して、カイは口を開いた。
「で、昨日のことなんですけど」
「は、はい」
返事とともに、ミナは姿勢を正して、
「笹山さん……ですよね?」
彼女もミナの受け持つクラスの生徒なのだから、知っていて当然だ。
「あんな場面見られて誤解されても無理ないんですけど、付き合ってるわけではないんです。って言っても、それを証明とかはできないんで、信じてもらうしか……」
「付き合って……ないんですか?」
「はい」
「二人で『周りには内緒にしよう』って決めてるわけじゃなくて?」
「違います」
「わたしたちには隠そうとしてるわけでもなくて?」
「ないです」
「……他の人とも?」
「付き合ってません」
カイが断言すると、ミナは、ほっと胸をなで下ろした。
が、すぐに慌てたように、
「あ、安心したのは、そういう意味じゃなくて、」
「?」
「その……心配だったんです。もう決まった相手がいるのにわたしたちが押しかけちゃって、カイくんの迷惑になってるんじゃないかって」
「そんなことは……」
「ない、でいいんですよね? よかった」
もう一度、胸に手をやって、ミナは微笑んだ。昨日のスーパー以来、見ることのできなかった本当の笑顔だ。どうやら、無事に誤解を解くことができたらしい。
ただ、カイの想定していた展開とは少々異なっていた。心配されるのではなく、怒られる――あるいは、諫められる――と思っていたのだ。
「怒られる……?」
正直に話すと、ミナは疑問符を口にした。
「自分たちがいるのに、他の女に現を抜かすとは何事か、もっとマジメにこっちのことを考えろ……って。内心、ドキドキしてたんですよね」
「し、しませんしません。そんな……」
「まぁ、俺の考えすぎだとは思ってたんですけど」
カイが苦笑していると、ふとミナは真面目な顔になり、
「でも、もし好きな人ができて、わたしたちが迷惑になるようだったら、ちゃんと言ってくださいね? 一族云々よりも、カイくんの意思の方が大切ですから」
「……えぇ」
予想外の言葉に、一瞬、返事が遅れた。
それが意味することがミナに気付かれるわけもないのに、後ろめたさからカイは動揺してしまう。急いで話題を切り替えようとし、しかし、これ以上話すことなど思いつかずに狼狽えていると、不意にズボンのポケットが振動した。
救われた気持ちで取り出し、ミナに了承を得てから相手を確認する。ユウ。
『お前、今どこにいる?』
通話ボタンを押した途端、耳に飛び込んできたのは不機嫌な声だった。
「どこって……部室ですけど。文芸部の。あ、でも、」
『誰かいるのか?』
「ミナ先生が」
『……そこにいろよ』
用件もなしに、電話は切られてしまう。ユウ相手ならこれくらいで困惑はしないが、気を遣わせないために、一応ミナには「ユウ先生でした」と伝えておく。
「ユウが……?」
それから数分もしないうちに、ドアがノックされた。もちろんユウだ。
「逢い引きか?」
「……昨日のこと説明してただけですよ」
ズカズカと部屋に入ってきたユウは、ミナを一瞥してから「もう話は済んだのか?」と尋ねた。カイが肯定すると、彼の襟首を軽く摘み、
「こいつ借りてくぞ」
「え? う、うん」
「ちょ、ちょっと……」
「ほら、行くぞ」
有無を言わさずに歩き出す。ついていかないわけにもいかず、残されたミナに「すみません、お先に失礼します」と謝りつつ、「後でカギは閉めますから、開けっ放しにしといてください」と言い残してから、カイもユウの後を追った。
「で、何の用なんですか?」
人通りのない廊下を、ユウは大股で進んでいく。彼女に追いつくよう歩幅を広げ、ユウの後ろを歩きながら用件を聞くと、その背中はこともなげに言った。
「忘れた」
「はぁ?」
「あぁ、そうだ。缶コーヒーがほしくて、」
「買ってこいと? なら、ユウ先生がこっち来る必要なかったんじゃないですか?」
カイの問いかけに、ユウは僅かに間を開けて、
「……とりあえず、一服はしようとしてたんだ。付き合え」
「まぁ、いいですけどね」
ユウの休憩に付き合わされるのも一度や二度ではない。タクには負けるが、部室にやって来る回数はミナとは比べるべくもなかった。
ユウから用事を仰せつかると思ってミナを残してきたものの、休憩くらいなら彼女を誘ってもよかったかもしれない。引き返そうかとも思ったのだが、いつまでもあそこにはいないだろう。ユウに頼んで連絡してもらうほどのことでもない。
ひとまず事態は収拾できたのだから、よしとしよう。今日は安心して夕食の席につけそうだ。そんなことを考えつつ、カイはユウの後を追って、お決まりの場所――利用者の少ない自販機のブースに向けて歩いていった。
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