ココロノうちでの 第1-09話 「はじめての登校」
ココロノうちでの まとめ
予め決めていた時刻になったので、カイは起き上がり、一応カギをかけてから離れを後にした。母屋の玄関先にある門から、外へと踏み出す。
カイの通う高校は、ここから徒歩で十五分ほどの場所にあった。自転車で通学するとなると面倒な手続きを経なければならないため、毎日歩いて登下校している。近いと言えば近く、遠いと言えば遠い中途半端な距離だが、電車に一時間以上揺られる生徒もいることを考えれば、幸運と思っていいのだろう。実際――もちろん、面接官に堂々と打ち明けられるわけはなかったけれど――、志望理由の上位ではあったのだから。
幼いころから今と同じところにあったため、道に迷うこともない。両脇に一軒家ばかりが立ち並ぶ路地をしばらく進むと、駅前へ続く大通りと合流する。この辺りでは主要な動脈の一つになっている幹線道路だ。
通勤通学時間と重なっているため交通量が多く、すれ違うバスの中には、立ったままつり革に掴まっている乗客の姿も見受けられた。排気ガスと騒音をかきわけながら街路樹に沿って歩道を歩いていくと、反対側――駅の方向から、ちらほらと見慣れた制服姿が現れ出し、そのころには、右手に大きな校舎が見えてくる。
私立五代高等学園。
創立年数を誇れるほど歴史は古くない。偏差値は並より少し上。スポーツにもそれほど力は入れていない。魅力と言えば、私学のわりに学費が安いことと、女子の制服がかわいいことと、校則が緩いことぐらいだが、実態を知ってみると、良きにつれ悪しきにつれ世間の注目を浴びるような特徴を持っているよりも、こうした平々凡々とした場の方が、学校側が密かに遂行しようとしている目的に相応しいと言える。
最も、その目的は生徒側には関係ない。そのこと知ることができるほどに学校側へ深く関わってしまっているカイにしても、少なくとも日常生活において、何かを強制されるようなことや義務を負わされることはなかった。
それは、先生たちと同居するようになっても同じだ。だから、カイはその他大勢の一人として、休み前と変わらない朝の登校風景に溶け込んでいた。昨日からこの学校の教師四人と同居している、などということは学校側の思惑と関係なく公言できるわけもなく、平凡な学校に通う平凡な学生として、人の波に混じって校門を潜り、昇降口の下駄箱で上履きに履き替え、階段を三階まで上がり、自分のクラスである二年二組の教室に入り、自分の席である窓際の後ろから二番目の机にカバンを下ろした。
ふぅ、と思わず息が漏れる。
数日ぶりに顔を合わせるクラスメートたちと雑談を交わしているときも、心にあるのは漠然とした不安だった。他の生徒とは違う特殊な環境に置かれているという優越感がないと言えばウソになるが、それよりも、これからの学校生活の方が気にかかる。同居人であることを意識せず、今まで通りに授業を受けられるだろうか。
しかも、今回は四人。週に一度か二度顔を合わせるような教科ならまだしも、あの四人が受け持つ授業は主要五教科のうち四教科だ。平静を装って勉学に勤しめるか、自信がない。居眠りなどをするのはもちろんマズいが、必要以上に張り切っても周囲から「突然どうしたんだ」と怪しまれるだろう。あくまで普段通りにと頭ではわかっているものの、果たしてそう簡単にできるだろうか。
ふとカーテンの隙間から窓の外を見やると、朝練を終えたのか、運動着姿の生徒がこちらへ走ってくるのが見えた。ここからなら、校庭や、その先に広がる街並みが一望できるが、今後、授業中に外の景色を眺めるのも控えた方がいいかもしれない。
そんなことを考えているうちに、ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。散らばっていた生徒は席につき、ややあって、前方のドアが開く。
入ってきたのはミナだ。このクラスの担任教師。
「おはようございます」
教壇に立ったミナは、にこやかな笑顔で生徒たちにあいさつをした。薄いながらも化粧を施した彼女は、家とは別人のように思える。数十分前にはいっしょに食卓を囲んでいたとは、にわかには信じがたい。
彼女の姿をいつまでも見ているのは何となく気が引け、以前の自分はどこに視線を置いていただろうと考えても答えは出ず、とりあえず何もない空中を見つめていると、出席確認の順番が回ってきた。カイの名前を呼ぶミナの声には淀みがなく、カイも、なるべく自然な返事になるよう、大きすぎず小さすぎない声を出す。今ので大丈夫だっただろうかとミナの表情を確認する間もなく、彼女は次の生徒を呼んでいた。
「えーと、欠席は……」
出席確認を終えたミナは、教室を見渡す。連休開けでも休みを引きずるような生徒はほとんどおらず、空席は、カイから離れた廊下側の一つだけ。
その席の主は、
「すんませーん!」
ちょうど、後ろのドアから駆け込んでくるところだった。長身痩躯。明るい色で染まった長めの髪。男のカイから見ても整っていると言える顔立ち。
城ヶ崎拓也――タク。
「城ヶ崎くん、遅刻……と。気を付けてくださいね?」
「へーい」
開いたワイシャツの襟から風を送りつつ、タクは自分の席に座った。ここまで走ってきたのだろう。タクの遅刻はそう珍しいことではない。
彼の事情を知っているカイは、タクは現在、彼の斜め前の席に座っている女子――優衣の家に住んでいないと察することができた。カイと同様に登校時間はズラすだろうが、同居人の遅刻を許すようなことは、優衣はしない。休み前はまだ彼女の家にいると聞いていたから、ここ数日でまたねぐらを替えたのかもしれない。
「それでは、連絡事項を伝えます。今日は……」
カイの目は再び虚空へ向けられ、ホームルームは平常運転で進んでいく。取り立てて特筆すべきことのない、朝の一コマ。席替えをしてから自分の席に慣れるまでしばらくかかったように、心の底に沈殿している緊張感も、いずれはあって当たり前のもの――日常の一つとして受け入れられるようになるのだろうか。
と、視線を彷徨わせているうちに、ミナのそれとぶつかった。一瞬のことであり、あるいは、錯覚だったのかもしれない。どちらからともなく、すぐに目は逸らされ、ホームルームを終えたミナは、教室から去っていった。
その後は、いつも通りに授業をこなしていった。
早速、顔を合わせることになった内緒の同居人数名。彼女たちには緊張や動揺は見られず、カイの名前を呼ぶ声も、ごく自然なものだった。
ひょっとすると、必要以上に身構えているのは自分だけかもしれない。そうは思いつつも、やはり、カイの目線は定まらず、ふらふらと空中を漂っていた。
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